インドネシア語・Watch

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2017年 05月 18日

nasi goreng mawut【料】焼そば飯


今晩、テレビ番組ケンミンショウで、神戸長田の「そば飯」が特集された。バリ滞在中にワロンで焼き飯を食べている時、若い店主に日本にはそばめしがあると話すと、インドネシアでもあるよと言われて驚いた。その時、初めてmawutという単語を知った。長田のそば飯は、どろどのソースをかける。インドネシアのmawutも今ひとつ工夫があれば広まるかもしれない。
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# by indobaru | 2017-05-18 22:19 | 料理・食べ物
2017年 05月 18日

インドネシア語研修を終えて

 二ヶ月間の研修を終えた。研修生は、スラバヤ郊外の繊維工場に赴任する経理担当役員である。
赴任する研修生は一生懸命学ぼうとする意欲があるので教え甲斐がある。当初、私の電子辞書を購入する気持ちががなかったが、研修を通じて辞書の内容を知り、購入してくれた。
 繊維・製薬メーカーは空気の綺麗な場所に工場を設置する。最初はバンドン周辺に集中した。スラバヤ郊外は涼しく、空気も新鮮である。味の素、製薬メーカーなど数少ないが日本企業の進出が目立つ。スラバヤ空港もシンガポールから直行便が出入りする。近年、企業研修が減っている。インドネシア経済も以前に比べると衰退しているようだ。



# by indobaru | 2017-05-18 17:53 | インドネシア語
2017年 04月 08日

小人族「Suku Mante」


アチェ州森林で、オートバイライダーと遭遇した裸の小人のビデオがWebにアップされた。ビデオはやや不鮮明ながら、子供のような小人が裸でライダーの前に現れた。警戒する仕草をみせると、追いかけるライダーを驚く程の早さで逃げる。最後は藪の中に逃げ込んだ。
 1970年代に、私がアチェ州で仕事をしていた時、小人族の話を聞いた記憶がある。その時は、
とても信じられなかった。40年が経過し、やっと小人族の存在は事実だったと知った。
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もう一つ、信じがたい話がある。カリマンタン奥地に樹木の上に生活する部族がいるという。その姿をみた者はほんの少しであるという。タバコを道に置いておくと、様子をうかがい人がいないと思うと樹の上から降りてき拾って行ったという話を聞いたことがある。
 インドネシアにはまだまだミステリーなことがあるようだ。



# by indobaru | 2017-04-08 19:01 | 一般
2017年 03月 16日

gurita kelapa

3月15日NHK番組のワイルドライフでインドネシア・スラウェシ島沖にいるココナッツ・オクトパスが映像で紹介された。椰子殻半分をを二つ合わせた器に入り、天敵から害を防いでいる。スラウェシ島沖にはシーラカンスとこのような蛸がいる。

gurita kelapa【動】メジロダコ◆英名:ココナッツオクトパス◆マダコ科マダコ属◆(学名:Octopus marginatus)



# by indobaru | 2017-03-16 03:00 | 動物・魚類・鳥類
2017年 03月 08日

あこがれの万年筆

サラリーマン時代から欲しい欲しいとおもっていた。しかし、事務作業には使いたくなかった。昨年からあれこれ迷っていたそのあこがれの万年筆を思い切って買うことにした。十万円はする代物である。そのモンブラン万年筆が今夜届いた。インクもモンブラン専用である。ブルーとブラックを購入。それに原稿用紙も購入。年金生活の私にとって生涯で最後の高い買い物かもしれない。今年は、この万年筆で物書きをする予定。三日坊主にならぬといいが。
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# by indobaru | 2017-03-08 18:50 | 一般
2017年 02月 20日

大統領も困惑の略語

 単語の文字数が多いインドネシア語は略語が多い。増加傾向にある略語の辞典なるものが数ヶ月後には訳に立たなくなる。私は、過去日々、新しい略語を電子辞書に収録した。お陰で、ニュースを読むときに役立っている。大統領も予算関連略語に困惑しているという記事である。

Komentari KBPU, Jokowi: Singkatan Kok Sulit Banget

TEMPO.CO, Jakarta - Di sela-sela acara Financial Closing Proyek Investasi Non-Anggaran Pemerintah(PINA), Presiden Joko Widodo menyempatkan diri mengomentari singkatan-singkatan program kerja atau lembaga pemerintah yang rumit. Salah satunya singkatan KPBU, yang kepanjangannya Kerja Sama Pemerintah dan Badan Usaha. Menurut dia, singkatan itu kepanjangan dan sulit diingat.

"Ini singkatan kok ya sulit. Singkatan itu paling panjang tiga huruf aja gitu lho. Kok, ya senang singkatan panjang-panjang," ujar Presiden Jokowi di Istana Kepresidenan, Jumat, 17 Februari 2017.

Singkatan lain yang menurut Jokowi sulit diingat kepanjangannya adalah RPJMP (Rencana Pembangunan Jangan Menengah dan Panjang) serta RPJMN (Rencana Pembangunan Jangka Menengah Nasional). Ia mengaku terkadang suka terbalik-balik menyampaikan kepanjangan singkatan itu.

"Saya kadang ingat, kadang juga luput. RPJMP, Rencana Pembangunan Jangka Menengah..., haduh," ujarnya yang kembali disambut tawa peserta acara Financial Closing. "Yang enak singkatannya itu seperti PPP (public private partnership). Kan jelas."[Tempo.co 10/02/2017]


PINA【略】[Proyek Investasi Non-Anggaran Pemerintah]非政府予算投資プロジェクト
KPBU【略】[Kerjasama Pemerintah Badan Usaha]官民連携[協力]
RPJMN【略】[Rencana Pembangunan Jangka Menengah Nasional] 国家中期建設計画




# by indobaru | 2017-02-20 06:47 | 新語・造語・略語
2017年 02月 16日

恩師・中谷義男先生の名訳(2)

「黙々と生きて、かつ死ぬ」  (「潮」昭和42年6月号 秋山 駿著)

黙々と生きて、かつ死ぬというのが、日本的なといわれるものの根底であると思う。漠然としているがこういう心の性質、生活の態度を、われわれはごく自然に直覚しているはずである。

禅も、剣も、俳句も、誇るに足るわれわれに固有のすべてのものが、この心性の所産であるように感ぜられる。 日常の生活においても、単純で、簡素で、鋭敏なものをよしとするわれわれの感受性は、そこから出発していると思う。

したがって、この心性から自然に導かれる諸規則を、自分の内部に見出し、かつ行うということがなければならない。 その基本は、要するに、質実なものの上を歩くということであろう。 どんな規則か、その日常的な工夫については、たとえば「北条重時の家訓」をよまれるとよい。

私が現在読んでもほとんど違和感を覚えない。そのことはまたこの心性のおどろくべき一貫性を証明している。

現在の、内面的な場所で必要とされる知恵はどうだろう。

私は、それはあたかも道端にある一塊の石のように生きかつ死ぬための、心の用意であろうと思う。もっとも普通の、だから人の眼に隠れたこの努力の水脈こそ、われわれのすぐ隣にある無名の歴史の、もっとも良質の生死であると考える。

 そして、実に現在、この黙々たる苦労の水脈は、現代文化の華やかな一部分と鋭く対立している。いまは華やかなものが尊敬されている。したがって、私の思う最低条件は、われわれが自分の心性を尊重する限り、どんな意味であれ、この華やかなものを拒否することだ。さらに、その努力が、どこかの一点で、たとえば宮本武蔵「独行道」の一節と相交錯するものなら、なおよいと思う。


Hidup dan mati dengan diam-diam

 Hidup dengan diam-diam demikian pula mati dengan diam-diam. Itulah agaknyamenjadi pokok-dasar daripada apa yang dikatakan "bersifat Jepang". Walaupun artinya tidak jelas dan hanya secarasamar-samar,tetapi sifat mental dan sikap hidup seperti itu, tentunya

sudah kita rasakan secaraintuisi dengan sendirinya. Baik"Zen", "Ken", maupun "Haiku",segala sesuatu yangmerupakan ciri khas bagi kita, yang dapat kita banggakan itu, rasanya adalahhasil daripada sifat metal tadi. (= yang cukup untuk dibanggakan itu)

 Kemampuan merasa kita, yang juga di dalam kehidupan sehari-hari, sesuatu yangbersahaja, sederhana dan tajam dianggap baik itu, kiranya juga berpangkal padasifat mental itu.

 Oleh karena itu, sudah seharusnya peraturan-peraturan yang tersalur secarasendirinya dari sifat mental itu, tidak saja kita dapati dalam diri kita sendiri,tetapijuga kita laksanakanitu.

Pendek kata, pokok daripada itu ialah bahwabaik kita berjalan di atas sesuatu yang

berkualitas nyata dengankesungguhan. Peraturan bagaimanakah ? Tentang daya-upaya

untuk sehari-hari, misalnyasaja sebaiknya tuan membaca "Ajaran Hohjo Shigetoki untuk

keluarganya".

Walaupun saya bacakan sekarang,hampir-hampir tidak terasa rasa selisih harmoni.

Hal itu juga membuktikan sifatkonsekuen daripada sifat mental itu yang sungguh

menakjubkan.

Bagaimanakah jikalau akal yang diperlukan ditempat-tempat batin dewasa ini ? Saya

rasa bahwa itu adalah kesediaan batin (rohani)untuk hidup serta mati seperti sebuah batu yang terletak di pinggir jalan.

Dirasanya pula bahwa itu adalahagaknya usaha diam-diam yang berdasar atas kesediaan

batin tadi.

Dan saya berpendapat bahwaurat-nadi usaha yang biasa, dan justru karena paling biasa,

tersembunyi pada mata orang,itulah hidup-mati manusia yang terlebih baik kualitasnya,

yang terdapat dalam sejarah tidak bernama,yang didapati didekat sebelah kita.

Dan sesungguhnya pada dewasaini, urat-nadi bagi usaha susah-payah (jerih-payah berat)

yang diam-diam itu, secararuncing berhadapan dengan kebudayaan zaman sekarang pada

sebagian yang mewah-indah itu.

 Pada dewasa ini,segala sesuatu yang mewah-indah itulah dihargai.

Oleh karena itu,syarat minimalmenurut hemat saya,adalah sepanjang kita tetap menghargai

sifat mental kitasendiri,haruslah kita menolak segala sesuatu yang mewah-indah itu, walau

alam arti apapun.

Lagi pula, saya kira lebih baikkalau usaha itu di mana saja pada satu titik, bisa

bercampur-baul dengan misalnyasatu pasal daripada "Jalan yang ditempuh seorang diri"

oleh Miyamoto Musashi itu.



# by indobaru | 2017-02-16 09:34 | インドネシア語
2017年 02月 16日

クアラルンプール空港のセルフチェックイン手続き機

 最初、この機械が何か解らなかった。Kioskといえば売店というイメージがあった。係員から説明を受け、e-Tiketとパスポートを挿入するとBoarding Passが発行される。簡単であった。無論、預ける荷物のない乗客が使える機器である。
 クアラルンプールからのAirasia便は、インドネシア全国の空港に飛んでいる。ジャカルタに入国してから乗り換えるより便利である。写真の発着便の案内掲示は、全てAirasia便の案内である。

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# by indobaru | 2017-02-16 08:46 | 一般
2017年 01月 30日

アンコールワット遺跡への旅で

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昨年12月の同遺跡への旅行は楽しかった。
でも気になる事が多々あった。シェムリアップには戦争博物館、地雷博物館がある。この博物館にはなぜか足を運ぶ気分にならかった。
Takeoという場所を通過したを時、日本から派遣された文民警察官がここで射殺されたことを思い出した。
現在、シェムリアップ市は観光ビジネスで潤っている感がありますが、見えない戦争の傷跡が残っている。私が雇ったTuku-tukuの運転手が足を引きずるのを見て、その理由を聞くと、若いときに地雷を踏んで左足を失ったという。私はこの運転手に同情した。翌日は乗りこごちの良いタクシーを予約していたが急遽キャンセルし、この運転手を雇うことにした。半日チャーターしても15ドルである。タクシーの半額である。娘二人を学校に通わせれば、生活費はぎりぎりである。でもこの運転手は毎日懸命に働いている。老齢な私に対して心遣いが嬉しかった。空港まで送ってくれた時、私は持っている現地通貨を全て彼に与えた。その時の彼の笑顔が忘れられない。



# by indobaru | 2017-01-30 16:55 | 一般
2017年 01月 24日

2017年DILAニューイヤーズパーティー

  私が所属する

語学専門学校の新年会は、今年も盛大に開催された。
同学校出身の英語講師が落語家六代目桂文枝(旧桂三枝)の弟子となった桂三輝(サンシャイン)さんが、日本人ではできない落語を披露してくれた。
英語と日本語の表現の難しさとおもしろさを題材として出席者の笑いを誘った。
インドネシア語講師も大勢出席された。後輩の深尾君とも会い楽しい時間を過ごせた。
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# by indobaru | 2017-01-24 01:16 | 一般
2017年 01月 06日

カンボジア語におけるKampongの意味

 シュムリアップを車で走行していると、距離道標にKampongなる言葉が表示されている。ホテルに戻り、マネージャーに意味を聞くと、『川岸の港または船着き場』の意であるという。村の意味はないとのこと。Kampongはカンボジアの州名に多く使われている。
 マレー語大辞典でKampungを調べると、村の意の他に市や村の郊外にある居住地とあった。しかし、川岸を意味することは何一つ記載されていない。
 カンボジア語はクメール文化において育った言語であり、マレー語やインドネシア語と関わりがある筈である。東南アジアの港や街の多くは、川岸にある。カンボジア語のKampongが意味することは、マレー語、インドネシア語の「村」と何らかの関係があると思われる。

# by indobaru | 2017-01-06 16:01 | 一般
2017年 01月 03日

遺跡・寺院の東塔

 最近不思議に感じていることがある。薬師寺の東塔・西塔は有名である。キンタマニ奥地にあるピラミッド遺跡は、当初、東寺と西寺(現在は改名されると呼ばれていた。
 インドネシアの遺跡の東側に石積みの小山が、アンコールワットにはパゴダ、その他の寺院にもパゴダが東側に配置されている。
 これらは何を意味するのであろうか。遺跡の方向が北を向いていることを確認する標識なのであろうか。皆さん、東南アジアの遺跡を見学する時は東側に注目してみて下さい。

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# by indobaru | 2017-01-03 18:44 | 歴史
2016年 12月 15日

アンコールワット遺跡への旅

12月7日からカンボジアのシムリアップ市に6泊しアンコールワット遺跡群を見学した。目的は、アンコールワット回廊の乳海撹拌神話のレリーフである。このレリーフは四カ所にあるがその中の3カ所を訪れて写真撮影してきた。乳海撹拌神話は、バリヒンズー教のルーツである。神塔であるPadmasanaの基盤に配置されている宇宙亀はこの乳海撹拌神話がルーツである。
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Padmasana : (寺院・王族の庭などにある)バリ・ヒンドゥー教の宇宙・世界観を象徴する神を祀る石塔。最高神サンヒヤン・ウィディの黄金シンボルが石塔の最上部の神座に祀られている。石塔下部に二匹の蛇神と亀神が配置されている

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# by indobaru | 2016-12-15 10:47 | 歴史
2016年 10月 12日

恩師中谷義男氏の名訳

 スカルノ大統領専属通訳であった恩師中谷義男氏の名訳をここに紹介します。恩師のインドネシア語訳は、堅苦しくなりがちなインドネシア語表現をやわらかく表現
している。単語ひとつひとつの奥深い意味をうまく活用している。ジャワ島で若くして苦労しながら学んだ生きたインドネシア語が身についているのでしょう。

「祭り」
  町を歩いていると、たまたまお祭りをみかけることがある。日本では、昔から米が重要な農産物であった。その農産物やその他この世の中のすべてのことは、皆神の力によって決められると考えられていた。だから、昔から田植の時には米が沢山とれるよう神に祈って、秋になると稲が実ると、神に感謝して秋祭りを行うことになっていたのである。お祭りの日には、あちこちにちょうちんが飾られ子供たちは神社へ行って太鼓を叩く。また、おみこしがだされ、若い人達が神社に集まる。神社のあたりは大変な人出で、人々は回りの人に押されたり足を踏まれたりする。子供たちはきれいな着物を着せられ、父母に手をひかれて神社へお参りに行く。鳥居をくぐると小さな店が沢山並んでいる。店にはお菓子やおもちゃなどがならべられている。父母は子供にお菓子やおもちゃをねだられる。
お祭りは子供たちの大きなたのしみである。
 日本には神道のほかにいくつかの宗教が存在している。その中のおもなものは仏教とキリスト教である。もちろん、無宗教の人達も沢山いる。
最近の調査では、人口の8割は無宗教の人達である。しかし、仏教と神道は長い間、日本人の間にとけ込んできた。だから信仰をもたない人も特定の信者の人も仏教や神道の宗教的な習慣を全く捨てて生活することはできない。それほど、日本人の生活は仏教や神道に影響されている。例えば、お宮参りや七五三の時になると子供は親に連れられて神社へお参りに行く。結婚式も神道の形式が多いが、クリスチャンは教会で結婚式を挙げる。仏教で行うことはまれである。しかし、葬式の時は仏教の形式が大変多く、お寺さんかお坊さんが来て長いお教をあげる。もちろん、キリスト教や神道でする人もいる。この頃は、無宗教の結婚式もだいぶでてきた。しかし、葬式の方は今までの習慣を変えることはなかなかむずかしいようである。

中谷氏のインドネシア語訳

Waktu kita menyusuli (berjalan-jalan) di kota, kadang-kadang kita kebetulan melihat perayaan. Sejak dahulu di Jepang,beras adalah salah satu hasil pertanian yang sangat penting. Sudah lama orang menganggap bahwa hasil pertanian dan segala hal-hal yang lain itu semuanya ditentukan oleh kekuasaan Tuhan. Oleh karena itu sejak dahulu kala kita memintakan Dewa supaya banyak beras waktu penanaman bibit padi. Demikian juga menjelma musim gugur dan padi-padi berbuah (panen padi),kita bersyukur dan berkebiasaan merayakan perayaan(festival) musim gugur. Pada hari perayaan musim gugur lampiyon-lampiyon terhias di sana sini dan anak-anak pergi ke Jinja atau Kuil Shinto untuk memukuli gendang.
 Demikian juga Omikoshi(usungan,tandu) dibawakan oleh pemuda-pemuda dan berkeliling-keliling di seisi kota atau kampung. Bila hari menjelma gelap,banyak orang-orang berkumpul di Jinja. Di sekitarnya bukan main ramainya sehingga orangnya terdorong dan terinjak kakinya oleh yang berdekatan. Anak-anak dipakai Kimono yang bagus-bagus oleh orang-tuanya,kemudian dengan ditarik tangan oleh orang tuanya mereka pergi ke Jinja untuk bersembahyang(menyembah Dewa).
 Apabila kita melewat dibawah Torii(yang merupakan gerbang istemewa Jinja)itu,maka tampaklah banyak toko-toko yang kecil berderet-deret. Toko-toko tersebut mengedaikan kue-kue dan main-mainan. Anak merengek meminta kue dan mainan pada ibu-bapaknya.
 Perayaan adalah hal yang menyenangkan hati anak-anak. Di Jepang terdapat beberapa agama lain selain Shinto,terutama agama Buddah dan Kristen. Sudah barang tentu ada banyak pula yang tidak beragama.
 Menurut penyelidikan baru-baru ini, orang tersebut adalah sebanyak 80% daripada seluruh cacah jiwa Jepang. Tetapi agama Buddha dan Shinto sudah lama mendapat kedudukan dalam masyarakat Jepang. Maka dari itu baik yang tidak beragama maupun yang beragama tertentu tidak dapat Hidup dengan meninggalkan kebiasaan adat keagamaan.
Sebagaimana tersebut di atas,kehidupan orang Jepang sangat dipengaruhi oleh agama Buddha dan Kristen. Misalnya(Misalkan),apabil datang waktunya untuk Omiyamairi dan Shichi-go-san atau selamatan untuk anak-anak yang menjelang 3 tahu,5 tahun dan 7 tahun umurnya,
anak-anak pergi menyembah Dewa ke Jinja dengan dituntun oleh orang tuanya.

 Upacara perkawinan banyak diadakan menurut agama Shinto. Orang jarang mengadakan upacara tersebut menurut agama Buddha. Tetapi banyak upacara penguburan berlangsung sesuai dengan agama Buddha dan pada waktu itu pendeta atau otera-san membacakan Okyo atau tulisan suci dengan panjang waktunya. Ada juga sedikit yang menigkuti agama Kristen dan Shinto.
 Baru-baru ini tampaklah(terdapatlah) upacara-upacara perkawinan menurut cara yang tidak beragama, Tetapi sungguh sukar untuk merubahkan kebiasaan yang telah lama dipakai sampaisekarang ini dalam upacara penguburan.


# by indobaru | 2016-10-12 15:51 | 日本語表現
2016年 08月 08日

タラン・トゥオ碑文の翻訳

 スリィウィジャヤ王国に関するタラン・トゥオ碑文の翻訳をしている。仏教用語がインドネシア語に訳されているので、仏教用語を見つけるのに苦労している。数十行の訳に一週間を費やしている。

〔インドネシア語訳〕
Bahagia !Pada tanggal 23 Maret 684 Masehi, pada saat itulah taman ini yang dinamakan Śrīksetra dibuat di bawah pimpinan Sri Baginda Śrī Jayanāśa.

Inilah niat baginda: Semoga yang ditanam di sini, pohon kelapa, pinang, aren, sagu, dan bermacam-macam pohon, buahnya dapat dimakan, demikian pula bambu haur, waluh, dan pattum, dan sebagainya; dan semoga juga tanaman-tanaman lainnya dengan bendungan-bendungan dan kolam-kolamnya, dan semua amal yang saya berikan, dapat digunakan untuk kebaikan semua makhluk, yang dapat pindah tempat dan yang tidak, dan bagi mereka menjadi jalan terbaik untuk mendapatkan kebahagiaan.

Jika mereka lapar waktu beristirahat atau dalam perjalanan, semoga mereka menemukan makanan serta air minum. Semoga semua kebun yang mereka buka menjadi berlebih (panennya). Semoga suburlah ternak bermacam jenis yang mereka pelihara, dan juga budak-budak milik mereka. Semoga mereka tidak terkena malapetaka, tidak tersiksa karena tidak bisa tidur. Apa pun yang mereka perbuat, semoga semua planet dan bintang menguntungkan mereka, dan semoga mereka terhindar dari penyakit dan ketuaan selama menjalankan usaha mereka.

Dan juga semoga semua hamba mereka setia pada mereka dan berbakti, lagipula semoga teman-teman mereka tidak mengkhianati mereka dan semoga istri mereka menjadi istri yang setia. Lebih-lebih lagi, di mana pun mereka berada, semoga di tempat itu tidak ada pencuri, atau orang yang mempergunakan kekerasan, atau pembunuh, atau penzinah. Selain itu, semoga mereka mempunyai seorang kawan sebagai penasihat baik; semoga dalam diri mereka lahir pikiran Boddhi dan persahabatan (...) dari Tiga Ratna, dan semoga mereka tidak terpisah dari Tiga Ratna itu.
Dan juga semoga senantiasa (mereka bersikap) murah hati, taat pada peraturan, dan sabar; semoga dalam diri mereka terbit tenaga, kerajinan, pengetahuan akan semua kesenian berbagai jenis; semoga semangat mereka terpusatkan, mereka memiliki pengetahuan, ingatan, kecerdasan.
Lagi pula semoga mereka teguh pendapatnya, bertubuh intan seperti para mahāsattwa berkekuatan tiada bertara, berjaya, dan juga ingat akan kehidupan-kehidupan mereka sebelumnya, berindra lengkap, berbentuk penuh, berbahagia, bersenyum, tenang, bersuara yang menyenangkan, suara Brahmā.

Semoga mereka dilahirkan sebagai laki-laki, dan keberadaannya berkat mereka sendiri; semoga mereka menjadi wadah Batu Ajaib, mempunyai kekuasaan atas kelahiran-kelahiran, kekuasaan atas karma, kekuasaan atas noda, dan semoga akhirnya mereka mendapatkan Penerangan sempurna lagi agung.


# by indobaru | 2016-08-08 10:21 | 歴史
2016年 08月 04日

冨尾武弘氏と碑文訳について

この数ヶ月、冨尾武弘氏のシュリウィジャヤ王国に関する碑文の論文を追いかけている。
今日、国会図書館に出向き、下記論文を閲覧した。私の関心は、碑文の和訳である。
40年以上も前に碑文の研究がされていたことに驚かされる。しかし、この訳がなされた後、
進展がないのである。最近では、鈴木 峻氏著『シュリウィジャヤの歴史』でこの碑文訳に
ついて触れられているが、内容の解析がされていない。
 私は、素人ながらこの碑文内容の解析に、現地調査を行って挑戦している。

◆7世紀スリィウィジャヤの仏教について--タラン・トゥオ碑文を中心に
掲載誌 竜谷史壇 (通号 68・69) 1974-12-00 p.135~148

◆クドゥカン・ブキット碑文の研究--成就行を中心にして
掲載誌 竜谷史壇 (通号 71) 1976-09 p.p46~60

冨尾氏の学歴
1977年 龍谷大学 文学研究科 東洋史学
1966年 天理大学 外国語学部 インドネシア





# by indobaru | 2016-08-04 17:33
2016年 08月 03日

マレーシア語 vs インドネシア語

 最近訪れたKuala Lumpurで見かけたマレーシア語をインドネシア語と比較してみた。

anak kapal - awak kapal フライト乗務員
trafik jam - macet 渋滞
awasi jarak kendaraan - jaga jarak antara kendaraan 車間距離維持
mahu - mau ~したい
HAD (交通)制限
・HAD laju スピード制限
sukan - olahraga スポーツ
kekurangan laju - kurangi kecepatan 減速せよ
bulatan - bundaran ロータリー
bas persiaran - bis pariwisata 観光バス
pelepasan - keberangkatann 出発
lapangan terbang antarabangsa - bandara internasional 国際空港
tandas awam - WC umum 公衆トイレ

ホテルでマレー語のテレビ番組を観た感想とし、以前(相当昔)より理解しやすい
言葉遣いになっていた。インドネシア語に近づいている感じがした。



# by indobaru | 2016-08-03 13:55 | インドネシア語
2016年 07月 06日

スマトラ島Bandar Lampung郊外のバリ村

 昨年Jambi-Palembangを走行した時、バリ寺院をみつけた。今回、Bandar Lampung郊外で、やはりバリ寺院をみつけた。隣接した建物は割門のある学校、更に立派な寺院があった。バリからの移民村である。
Bandar Lampungでは、バリ人のみならず国内移民のジャワ人が多い。
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# by indobaru | 2016-07-06 00:11 | 一般
2016年 07月 02日

マレーシア語 mangsa

日刊紙を読んでいた時、気になった単語がmangsaである。交通事故などの被害者の意である。インドネシア語に意味からするとどうしてもしっくりこないのである。

インドネシア語 mangsa
1a (猛獣が捕食する)餌(えさ)、餌食
1b 餌としての生きた動物
2〔比喩〕(横領・略奪の)対象、カモ

mangsa
1 獣の餌食
2〔比喩〕(火事などの)被害者、被害物



# by indobaru | 2016-07-02 10:04 | 一般
2016年 06月 26日

スマトラ島遺跡探訪の旅

 古代王国シュリウィジャヤに関連する遺跡を訪ねる旅を終え、一昨日帰国した。車での走行500キロ。道路の半分は悪路であった。さすがに疲れ、2日間ほど寝込んだ。

 空路Kuala LumpurかAirasia便で、Pakan Baruへ入り、翌日現地で雇ったガイド君と片道130キロの遺跡Muara Takusへ。遺跡は、山間の平野に建立されている。煉瓦の積み方、建築方法はしっかりしていた。昨年、訪ねた遺跡Muara Jambiより建築方法は上である。
 ラッキーだったのは、政府観光局長と面会出来て、Muara Takus関連の歴史資料と書籍を手にすることが出来た。あまりにも丁寧な対応に驚いた。これはガイド君が、弟の警察官の帽子を被っていたことが影響していた。遺跡周りの環境をみたり、遺跡傍を流れるKampar川の状況などから、この遺跡が歴史上持つ意味を、今後解析したい。
 二日目は、シュリウィジャヤ王国の海軍が出発した、川の合流地点の確認である。地元発行の地図は古く、現状に合っていない。ランガム県の近くであることは見当がついた。ガイド君が釣り仲間から貴重な情報を掴んでくれた。釣り場の穴場であるとか。街から約60キロの地点だそうだ。合流地点の川岸へ出るまで、村民に聞きながら四苦八苦してたどり着いた。川岸にたった時、感激した。
 研究者・学者が紙の上で、合流地点についてあれこれ述べきたが、現地確認したのは、多分、私が最初であろう。

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# by indobaru | 2016-06-26 18:09 | 歴史